僕は現在イギリスのDyson本社でDesign Engineerという肩書きで製品開発の仕事をしています。Dysonはサイクロン掃除機とか羽のない扇風機とかを作っている会社です。
いろんなエンジニアが世の中にはいますが、Design EngineerのDesignは”設計”とか”意匠”という意味で、僕は製品の構造とか形を作ります。デザイン的なこともするし、エンジニア的なこともします。
僕は山梨大学で機械工学を専攻していました。なんでこの大学に入ったかというと
「近かったから」
スラムダンクの流川的な理由です。実家から自転車で数分。中学よりも近かったんです。さらに父親と母親の出身校だったので、僕にとっては小さい頃から大学といえば山梨大学のことでした。そして機械工学科は父親と同じ学科。小学校の頃、夏休みの工作を父親がよく手伝ってくれたんですよね。それで賞とか貰って、あー何かを作るのって楽しいなと思うようになっていました。小学校の卒業文集に”将来はエンジニアになる”って書いてたと思います。
今こう書くと聞こえがいいですけど、この頃は将来に向けて大きな展望があったわけじゃありません、まったく。高校の時テニスばっかりやってたらいつの間にか受験の時期がきちゃったから、上に書いたみたいな理由を適当に考えて一番近い山梨大学を受けました。
そんな感じでなんとなく入った大学で特にやる気もなく、4年で卒業できればいいやーという感覚でテニスしたり、スノボーしたり。勉強なんて全然やらなかったです。そしたら今度は3年の後期に就活の時期がやってきてしまいました。
当時は体を動かす遊びのほかに絵を描くのにかなりハマっていて、趣味で描いた絵をネットに載せていたのですが、ある日それを見てくれた人が雑誌にイラスト描きませんか?という依頼をくれました。
これが転機です。
その人の依頼に応えて何度かイラストを描きましたが、これがとっても嬉しかったんです。好きで得意だと思っていた絵にお金を払ってくれる人がいたことで、それまで山梨県のとても狭い範囲で生きてきたのが、初めて外の世界を見はじめます。
周りのみんなが就職活動とか大学院に進む勉強とかしている中、僕は美大予備校に通いはじめます。それまでは美大のための予備校があることすら知りませんでした。
そして進んだ学校は桑沢デザイン研究所。研究所という名前ですが、専門学校です。既に大学に通っていたので、もう一度4年間は長いなと思い、3年制の専門学校を選びました。
ここから僕の意識と姿勢が変わります。