2014年、アメリカから日本に帰ってきて桑沢デザイン研究所の最終学年3年生をスタートします。SonyCSLのアルバイトにも復帰させてもらい、義足研究者の遠藤さんのチームで今度はリハビリロボットの開発に関わることになります。病院によくある歩行補助器具に取り付け可能で、簡単に電動アシストになるコンパクトなロボット機器です。
このプロジェクトでは外観のデザインと一緒に中身の機械設計も担当しました。同じアルバイト仲間の北野くんとチームを組むことになるのですが、彼がまた凄くて。東京工業大学の博士課程でロボットの研究をしてる人で、機械も電気もプログラムもできちゃう。彼も僕のことを認めてくれていて、さらに同い年なこともあってお互い遠慮せずに議論ができたので一緒に開発をする上でとてもいい関係でした。
遠藤さんのもと機械的なことは2人で話し合い、僕がデザインを含めて機械設計をして、北野くんが電気と制御プログラムを担当するというスタイルでした。ちなみにデザイン学校では卒論の代わりに卒業制作といって、なにか1つのものを1年間かけてデザインするのですが、僕はこのプロジェクトを同時に桑沢の卒制ということにしていたので一石二鳥でした。
ある程度、形になってきたところである日遠藤さんが、これダイソンアワードに出してみれば?と提案してくれます。Dysonでは次世代のデザインエンジニアを支援・育成するためにJAMES DYSON AWARDという国際的なアワードを毎年行っていて、ちょうど応募の時期でした。そりゃDyson大好きな僕はもうノリノリです。そこから猛スピードで応募のためにプロトタイプの詳細を詰めたり、プレゼンの動画を作ったり、夜遅くまでSonyCSLで作業し過ぎて怒られたり笑
応募期限の数時間前まで最終の詰めをやっていた記憶があります。
そして国内準優勝、国際TOP20という評価をもらいます。だけど実はとっても悔しかったです。もっと上に行って欲しかった…
でもこの受賞がDysonに入社する大きな架け橋になってくれました。